Donguri’s Blog

見て下さり、ありがとうございます。2003年生まれ。文学的なブログを目指す。

クリスマスの解釈

今日はクリスマスである。クリスマス・イヴのイヴはeveningのイヴだから日没がクリスマス・イヴ。

クリスマスといえば何を思い浮かべるだろう。自分はクラシック音楽好きなので、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の音楽を思い出す。この曲にはかなり思い入れがある。自分がクラシックなんてつまらない、聴いてても面白くない、古いなんて思っていたその観念を見事にぶち壊した曲なのだ。つまり、クラシック音楽を好きになったきっかけの曲なのだ。

チャイコフスキーと言うと、馬鹿にする人がいる。何故かと訊くと、「表面だけの音楽」だとか「深みのない」だとか「甘すぎる」なんて言われてしまう。しかし、自分はチャイコフスキーの音楽の魅力はそのポピュラーさ、悪くいえば深くない表面だけのところにあると思う。チャイコフスキーを嫌う人はきまってブラームスが好きだ。これは科学的にも証明されている(されてません)。だけど、ブラームスの曲で誰もが、クラシックを知らない人もが知っているような、口ずさめるような曲はあるだろうか。自分は無いと思う。交響曲第1番の第1楽章の重々しさはクラシック音楽を知らない人はまず受け付けないだろう。誤解されないように言っておくが、自分はブラームスも大好きだ。しかし、親しみやすさの観点から言えばチャイコフスキーに軍配が上がるのが間違いないだろう。

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ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー

チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の魅力も何といっても甘く美しいメロディーだろう。たまたまYouTubeにおすすめされて組曲版を初めて聴いたときのことは今でも鮮明に覚えている。「行進曲」「金平糖の踊り」「ロシアの踊り」「葦笛の踊り」「花のワルツ」など、誰もが1度は聴いたことのある曲がたくさんあって、その弦楽器の美しいメロディーに魅了されて、30分間(たった30分だが、この頃は10分の曲ですら長いと思っていたのだ。)全く飽きることがなかった。1曲1曲が短かったのも良かったのかもしれない。ちなみにおすすめは第1幕最後の「松林の踊り」とそれに続く「雪片のワルツ」である。世の中にはこんなに綺麗な旋律があるのかと思った。この季節の気温もこの曲にはちょうどいい。この曲は組曲に入っていないので(どうして入れなかったのか)、全曲版で聴いていただきたい。

だいたい、音楽なんて表面的でいいのだ。甘くていいのだと思う。音楽はそもそも聴いて楽しむものだから、甘い美しいメロディーは全く理にかなっているに違いない。そういうわけで、自分はチャイコフスキーが大好きだ。「白鳥の湖」も「眠れる森の美女」もヴァイオリン協奏曲もピアノ協奏曲も交響曲もそしてなんといっても「悲愴」も素晴らしい。そしてクリスマスにはチャイコフスキーの「くるみ割り人形」を聴こう。ヨーロッパでは年末に日本の第九なみに上演されるそうだ。ちなみに第九を年末にたくさん上演するのは日本だけである。

話は変わるが、ところでクリスマスとは何だろうか。自分は、特に現代におけるクリスマス観をヨーロッパ世界の形成の象徴であると解釈している。もともとクリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日ということで、キリストの誕生日ではないのだ。12月25日という日付は、古代ローマミトラ教冬至の日だ。つまり、キリスト教古代ローマの世界が融合している。さらにクリスマスツリーというものがある。これは、全くキリストやローマとは関係のない、ゲルマン人冬至の風習である。ゲルマン人がヨーロッパに移動しなかったらクリスマスツリーは生まれなかった。だから、クリスマスツリーの木は北に生える針葉樹なのだ。また、これは自分の解釈だが、サンタクロースがトナカイに牽かれているのも、トナカイの生息域から考えてキリスト教やローマ由来の風習とは考えにくい。これもゲルマン人が関係しているのだろう。つまり現代のクリスマスツリーを飾ってトナカイの牽くソリに乗るサンタクロースは、いわゆる「カールの戴冠」によって融合した3要素である、古代ローマの文化・キリスト教ゲルマン人を象徴するものと解釈できる。

 

三島由紀夫没後50年 「海と夕焼」を読んで

三島由紀夫が誰もが知っているように自衛隊の前で演説して、割腹して50年である。もちろん私は生まれてすらいないので何の記憶もないけれど、彼の死が文学的に稀有な才能を失ったとして、勿体無いように思われたことはわかる。

三島由紀夫の短編に「海と夕焼」というものがある。フランスで生まれ育った少年、アンリが、キリストのお告げを聞いて、聖地エルサレム奪還へと向かう。キリストは地中海の水が2つに分かれると予言して…。アンリは海が分かれる奇跡を信じて、故郷から離れ辛い旅を何日も続けて、少年たちと共にマルセイユで何日も待った。しかし、海は分かれなかった。奇跡は起こらなかった。その後エジプトで奴隷として売られた彼は異国を転々とし、ある日インドで出会った禅師とともに日本へ渡る。

自衛隊員の前で憲法改正を訴える三島由紀夫と、マルセイユでのアンリの姿が重なるようである。三島由紀夫は戦後の日本、あるいは日本のこれからを憂い、待った。バルコニーでも、おれは4年待ったと言った。彼の言葉は結局、聞き入れられることはなかった。奇跡は起こらなかったのである。三島由紀夫の生涯で50年前の今日以外に三島由紀夫の願いが叶うことはまずなかった。言い換えれば、その50年前がラストチャンスだったのだ。その50年前でさえ、叶わなかった。「そうした一瞬にあってさえ、海が夕焼に燃えたまま黙々とひろがっていたあの不思議…。」である。

不思議の中に三島由紀夫は死んでしまった。日本で寺男となった「安里」が物語中で語りかけているのは聾唖の少年である。独り言を言うのも同じだった。そこにも演説での三島由紀夫の姿が思い浮かぶようである。安里は、日本で死ぬ覚悟ができていた。仏教的な考えで死を捉えていた。仏教において死は世の一部に過ぎない。もしかしたら、この時から三島由紀夫は自分の死を、割腹を実感していたのかもしれない。ハイデガー、あるいはサルトルの思想だろうか。

日本はアメリカに負けて、ポツダム宣言を受け入れて、民主主義になった。三島由紀夫にとって戦争の終結は解放ではなかったようである。「おびただしい死をもたらした戦争が終わったら、かつて経験したことがない別の世界がやってきたような予感を覚えた」と語っている。日本人はある意味、ハイデガー的に言うと「故郷を喪失」したとも言える。「海と夕焼」の舞台13世紀はモンゴル帝国の支配が強大であった世紀であり、フランスの方面にもバトゥが遠征し、フランスに辿り着くことはなかったが、キプチャク=ハン国をヨーロッパに立て、ユーラシアを制覇した。今の中国の一帯一路政策のようだ。現在の世界、そして日本は三島由紀夫が予言した通りになった。三島由紀夫の行動が正しかったのかどうかはわからないが、三島由紀夫の身体を張った「アンガージュマン」を、少し見習う必要があるかもしれない。

また、この記事を読んでいただいている方には是非とも「海と夕焼」を読んで欲しい。収録されている刊行本のAmazonのリンクを載せておく。

三島由紀夫 (ちくま日本文学 10)

三島由紀夫 (ちくま日本文学 10)

 

 

 

『河内名所図会』を読む 第1回「河内国」

河内国の由来は何でしょうか。河内名所図会の初めにこのように書かれています。

河内の国号は、都大和にありし時、大河此国の西北を繞(めぐ)るゆへに斯(かく)いふ也。上古、凡河内国といふ。

大和を現在の奈良県の辺りと考えて、大河とは淀川のことでしょう。淀川は摂津国との北境でもあります。つまり、西北に流れる淀川の内側こそが河内国であったということです。「上古」というのは、文献上遡れる限り最も昔…という意味です。つまり、大昔は「凡河内国(おおしかわちのくに)」といったということです(後述します)。その後、このように続きます。

神武天皇東征し給ふとき、浪速より大河を遡(さかのぼり)て、河内国草香邑青雲白肩(かはちのくにくさかのさとあをくもしらかた)の津に至り給ふ。これ、国号の顕れしはじめ也。人皇十九代、反正天皇、都を河内の丹比に遷し給ふ事、都(すべ)て六ヶ年也。これを柴籬宮といふ。是辰(このとき)に当って、風雨和平にめぐりて、五穀成熟(ごこくみのり)、人民富饒(にんみんふにょう)、天下泰平也。これ、当国に皇城(みやこ)ありし縁(このもと)也。元明帝の御宇に、詔(みことのり)して諸国の国郡の名を二文字定め、凡(おほち)の字を省給ふ。元正帝霊亀四年四月甲子日、大鳥、日根、和泉の三郡を割て、始て和泉国とす。

このように河内国の歴史が書かれています。神武天皇の東征は有名で『古事記』や『日本書紀』にも記されています。いわゆる神話の類であまり信頼できたものではないですが、この辺りが河内と認識されたのはこの頃のようです。河内国草香邑青雲白肩というのは現在の東大阪市で草香は現在の日下町(くさかちょう)に名前が残っています。この頃の大阪湾は現在とはかなり違った姿であったようです。「津」というのは地名においては船着き場、つまり港の意ですから、現在の日下町の位置を地図で見るとわかるように、かなり奈良県の近くまで海が迫っていたことが分かります。

その後、この湾は上町台地のあたりで海と別れ、大和川と淀川によって完全に淡水の湖になったそうです。

反正天皇のことも書かれています。河内の丹比(たじひ)とは現在の大阪府松原市の辺りです。松原市のホームページに詳しく、「大和王権の宮が河内に置かれた初めてのこと」であったそうです。丹比柴籬宮があった場所は遺跡等が見つかっておらずはっきりしませんが、現在の松原市上田にある柴籬神社のあたりと伝承されており、神社の名前などから、この地の辺りである可能性はかなり高いと言えるでしょう。「風雨和平にめぐりて、五穀成熟(ごこくみのり)、人民富饒(にんみんふにょう)、天下泰平也。」とは、日本書紀からの引用であり、文字通りとても平和で豊かな治世であったことがうかがえます。「都て(治めて)六ヶ年」とある通り、6年の治世の後、崩御されたそうです。

元明天皇の御時、具体的な西暦で言うと713年(和銅6年)ですが、「諸国郡郷名著好字令」いわゆる「好字令」が発せられたことも書かれており、これは続日本紀からの引用です。国や郡の名前をよい漢字で表記しろ、ということで、二字という指定はなかったようですが一斉に地名の二文字化がはじまり、河内国も例外ではありませんでした。前述したようにもともと河内の辺りは「凡河内国(おおしかわちのくに)」と呼ばれていましたが(凡河内国造が統治したことから)、「河内国」となりました。

元正天皇の御時には和泉国(和泉監)が成立しました。厳密には最初に和泉監がたてたれのちに和泉国となりました。元正天皇離宮がこの地に造営されたことが国とならなかった主な理由であるようです。

この後、河内名所図会は地理的な説明へと移ります。

なお、河内名所図会の引用は、堀口康夫校訂、柳原書店のものによりました。

 

『河内名所図会』を読む 第0回

江戸時代に刊行された「名所図会」というものがあります。江戸・近畿などを中心に各地の歴史や交通事情などを挿絵なども交えて紹介された地誌です。現代で言う観光ガイドブックのようなものでしょうか。資料を通して大阪の昔の姿を想像することはとても面白いものです。

次回から、このブログではこの名所図会の中から、河内国、つまり現在の大阪府南東部の名所図会『河内名所図会』を抜粋して何回かに分けて紹介したいと思います。

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国立国会図書館書誌データより

また、大阪府の地名の由来bot (@Osaka_place_bot) というアカウント名でTwitter大阪府の地名の由来や河内名所図会についてのツイートをしています。もしよろしければフォローをお願いします。

 

次回から河内名所図会を抜粋して読んでいきます。

 

 

高校生になって思うこと

ブログを更新するのは2年ぶりぐらいでしょうか。高校2年生になっています。

中学生の自分は幼いですね、中学生の頃に謎に始めたブログの記事を見るのが嫌でブログの更新をやめたのですが、なぜかそういう気分になったの更新します。

 

中学生の頃の記事を読むというのは地獄ですね。非常に気持ちが悪い。

読むに堪えられずいくつかの記事を非公開にしました。これから受験なのでまた浮上することは少なくなりますが、少しずつ更新していきます。中学生の頃よりはもう少し、大人な記事を書いていきます。確か1人だけですが、読者の方がいらっしゃったと思います。よろしくお願いします。

京都小旅行!

久しぶりですー!

いろいろ勉強などで忙しく、更新する気力と暇がなかったのですが京都に行ってきたので更新します。

朝早くに起きて、電車で大阪から京都まで行きました。時間があったので、奈良を経由しました。ただし、お金がないので改札から出れず…(笑)

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朝の天王寺駅323系

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奈良駅103系

奈良駅には、相変わらずの103系ですが、かつてJR西日本近畿圏のどこへ行っても見られた車両が今ではもうここと和田岬線ぐらいになりました。時の流れは速い…。

とはいえ、さすがに京都までこの103系ロングシートに揺られるのはしんどいので、あとから来た221系快速に乗ります。

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221系です。伏見稲荷に行く外国人がこの列車に誤乗することが多いようで、なんどもしきりに「稲荷には停まりません」と放送していました。

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221系もリニューアルされていて、綺麗になっていました。また、奈良線221系は自動放送がついていました。なんと車内チャイムまでついていて、これにはびっくりしました。調べてみると、今年の3月から導入されたようです。大和路線にはつかないのかなー。

8時ぐらいに京都駅に到着しました。時間があるので、しばらく電車を観察。

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117系

こいつは、いつまでいるんだろうか。

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京都駅には、一日一往復だけ特急ひだがやってきます。ひだがくるまで待つことにしました。

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HOT7000系、ここから鳥取の倉吉まで向かうスーパーはくとの車両です。

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特急ひだ、キハ85系です。僕の大好きな車両の一つですが、すでに置き換えの予定が発表されました。これからもがんばって欲しい。

京都駅はいろんな列車が来るので飽きないです。

ここからは、嵯峨野線にのって嵐山に行くことにしました。嵯峨野線にも自動放送が導入されていましたよ。JR西日本と言えば肉声放送のイメージが強かったのですが、最近になって変わってきましたね。

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嵯峨嵐山駅にいた、トロッコのDE10

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駅前の蒸気機関車

JRの駅からは少し歩きます。

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THE・京都って感じです。

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有名な渡月橋です。台風のせいか水が濁っています。(京都を訪れたのは9月のことです。)最近台風で桂川がよく氾濫しますよね…。

現存の橋はおよそ80年前に造られたそうです。夜にはライトアップもされるそうです。ここで少し休憩して、竹林のほうへ。

ちなみに近くにはモンキーパークもあり、京都を一望しながらサルと触れ合えます。

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人が多かったです。外国人がたくさんいました。

駅に戻り、電車に乗って円町へ。次の目的地は金閣寺です。円町駅からはバスに乗ります。

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存在感があります。室町時代3代将軍足利義満が建てたといわれています…中学校の社会で習いましたね。世界遺産ではありますが、国宝ではありません。現存の金閣寺は放火で焼失されたものを60年ほど前に建て直したものだからです。

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いい天気でした。

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出口に八つ橋が売っていました。僕はあんまり好きではありませんが試食があったので食べてみました。…やっぱり好きになれません。

帰りはバスでそのまま京都駅へ。途中円町駅最寄りのバス停で降りる人がたくさんいましたが、金閣寺から京都駅に直接向かうときは、断然バスがおすすめです。均一区間の中なので料金は変わりません。乗り換えの手間もお金も省けます。

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京都のシンボル、京都タワー。最近はこっちも面白くなったらしい。

たくさん歩いたので帰ることにしました(笑)。
さよなら京都、楽しかったです。知らない土地を一人で歩くのってワクワクしますよね。

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京都駅で駅弁を買って電車の中で昼食にしました。

この次の週には青春18きっぷを駆使して、城崎温泉と福知山に行ってきたのでそのことも書けたら書きます。さよならー。

 




 

 

JRの大きい駅レイアウト

お久しぶりです!

1つレイアウトを公開しました。

 

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JRの大きい駅のレイアウトです。

モデルは山陰本線米子駅こちらからどうぞ。

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モデルは米子駅ですが、結構なんでも似合うと思います。