Kawakami’s Blog

2003年大阪府生まれ。

三島由紀夫『海と夕焼』

三島由紀夫が誰もが知っているように自衛隊の前で演説して、割腹して50年である。もちろん私は生まれてすらいないので何の記憶もないけれど、彼の死が文学的に稀有な才能を失ったとして、勿体無いように思われたことはわかる。

三島由紀夫の短編に『海と夕焼』というものがある。フランスで生まれ育った少年、アンリが、キリストのお告げを聞いて、聖地エルサレム奪還へと向かう。キリストは地中海の水が2つに分かれると予言して…。アンリは海が分かれる奇跡を信じて、故郷から離れ辛い旅を何日も続けて、少年たちと共にマルセイユで何日も待った。しかし、海は分かれなかった。奇跡は起こらなかった。その後エジプトで奴隷として売られた彼は異国を転々とし、ある日インドで出会った禅師とともに日本へ渡る。

自衛隊員の前で憲法改正を訴える三島由紀夫と、マルセイユでのアンリの姿が重なるようである。三島由紀夫は戦後の日本、あるいは日本のこれからを憂い、待った。バルコニーでも、おれは4年待ったと言った。彼の言葉は結局、聞き入れられることはなかった。奇跡は起こらなかったのである。三島由紀夫の生涯で50年前の今日以外に三島由紀夫の願いが叶うことはまずなかった。言い換えれば、その50年前がラストチャンスだったのだ。その50年前でさえ、叶わなかった。「そうした一瞬にあってさえ、海が夕焼に燃えたまま黙々とひろがっていたあの不思議…。」である。

不思議の中に三島由紀夫は死んでしまった。日本で寺男となった「安里」が物語中で語りかけているのは聾唖の少年である。独り言を言うのも同じだった。そこにも演説での三島由紀夫の姿が思い浮かぶようである。安里は、日本で死ぬ覚悟ができていた。仏教的な考えで死を捉えていた。仏教において死は世の一部に過ぎない。もしかしたら、この時から三島由紀夫は自分の死を、割腹を実感していたのかもしれない。

日本はアメリカに負けて、ポツダム宣言を受け入れて、民主主義になった。三島由紀夫にとって戦争の終結は解放ではなかったようである。「おびただしい死をもたらした戦争が終わったら、かつて経験したことがない別の世界がやってきたような予感を覚えた」と語っている。日本人はある意味、ハイデガー的に言うと「故郷を喪失」したとも言える。『海と夕焼』の舞台13世紀はモンゴル帝国の支配が強大であった世紀であり、フランスの方面にもバトゥが遠征し、フランスに辿り着くことはなかったが、キプチャク=ハン国をヨーロッパに立て、ユーラシアを制覇した。今の中国の一帯一路政策のようだ。現在の世界、そして日本は三島由紀夫が予言した通りになった。三島由紀夫の行動が正しかったのかどうかはわからないが、三島由紀夫の身体を張ったアンガージュマンを見習う必要があるかもしれない。

三島由紀夫 (ちくま日本文学 10)

三島由紀夫 (ちくま日本文学 10)